実は六曜の根拠ははっきりしていません

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天気や六曜、皆様方の予定や赤ちゃんの体調など全てを事細かに考えているとなかなかお食い初めの儀式が実現しません。
それにより儀式そのものが実施できないとなれば本末転倒となってしまいます。

そのような時には、六曜を気にせずにお食い初めなどの儀式は執り行うのも一考です。

では色々な場面で私達を悩ませる六曜とはそもそもどのようなものでしょうか?

六曜の歴史

六曜は一般的に中国で生まれたとされていますが、いつの時代から暦として確立されたかについては不明です。
三国志で有名な軍師 諸葛亮│字は孔明(こうめい)が発案し、六曜を用いて軍略を立てていたという俗説が有名ですが、三国時代に既に六曜があったということは疑わしく、後世のこじつけであるとするのが定説となっています。

また六曜は幕末の天保のころから現在の形で使われていますが、本格的に広く使われるようになったのは幕末から明治のほんの初めで新しい占いです。

六曜が中国から日本に伝来

六曜が中国から日本に伝来したのは、14世紀の鎌倉時代末期から室町時代にかけて、とされています。
その名称や解釈・順序も少しずつ変えられ、現在では赤口以外は全て名称が変わっています。
元々は即吉→共引→周吉→虚亡→泰安→赤口の順で繰り返されていたとされています。
※名称については諸説あります。
19世紀初頭の文化年間に現在の形になり、幕末頃には、民間の暦にさかんに記載されるようになりました。

六曜使用の禁止

明治6年に太陽暦が採用された時に、吉凶付きの暦注は迷信であるとして、政府はこれらを一切禁止しました。
政府が発行する官暦となった神宮暦も、新暦(太陽暦)と天文・地理現象の他は国家神道の行事等のみを載せ、吉凶の暦注は一切排されるはずでした。
実際、本暦の本体からは全て消えましたが、六曜と旧暦を必要とする要望を政府も押し切ることができずに、略本暦に附すという形で存続しました。
第二次世界大戦後にはそういった政府の統制もなくなったために占いの類が氾濫するようになり現在に至ります。

六曜は勝負事の運勢を占うなどによく使われていたようです

各六曜には、各々吉凶や運勢が定められています。
勝負事に関する内容が多く、「縁起を担ぐ」ことから、元々は賭場の遊び人や勝負師などの間で用いられ出したものではないかと考えられています。
このため、公営競技の予想紙には、現在でも日付欄とともに掲載されています。
一般的なカレンダーなどにもこれまで広く用いられてきました。

しかし、やはり行政をはじめとする公共機関が作成するカレンダーでは使用せず、掲載を取りやめるよう行政指導を行っている機関もあります。
これには、根拠のない迷信であること、無用な混乱を避けるなどの理由があります。
また、部落解放同盟では「六曜のような迷信を信じることは差別的行為につながる恐れがある」等の理由で、積極的な廃止を求めています。

各年代ごとの六曜の認識

現代でも、冠婚葬祭の日程を決める時には六曜を意識して決める人は多いです。
しかし主催者が特に若い世代の場合は自分たちは気にしないが、親や祖父母や目上の知人などに言われたから、参加者に非常識だと思われないようになど、世間体を気にして仕方なく六曜を考慮しているケースが多いです。
また最近はデザインなどを含めた面で六曜の記載がないカレンダーも増えてきたことや、
携帯電話で予定を管理するからカレンダー自体を持たない若者も増え、六曜を知らないという人もいるほどです。
中年~年配者の中でも、昨今は六曜は気にしないという人も増えてきてはいるものの、
気にする人の場合では冠婚葬祭以外に、お祝いを買う時や持って行く時、見舞いに行く時、引っ越し、納車、家を建てる時、宝くじを購入する時、新しい鞄や靴をおろす時まで、大安の日を選ぶという人もいます。

六曜と仏教は無関係

仏滅や友引という、仏事と関連のあるように見える言葉が多く使われてはいますが、
仏教とは無関係です。仏事と関連のあるように見える言葉が多いのは当て字によるもの。
占いを盲信して本質がおろそかになればかえって悪い結果になるとして、仏教では占いを否定しています。
また、浄土真宗では親鸞が「日の吉凶を選ぶことは良くない」と和讃で説いたため、迷信、俗信一般を否定しており、特にタブーとされています。
仏教においては本質的に因果関係によって物事が決まるのであり、六曜のような日の吉凶が直接原因として物事を左右することはありません。

六曜の否定論

福澤諭吉も改暦辧(かいれきべん)で六曜に否定的な見解を記載しています。
(以下抜粋)
『且又(かつまた)これまでの暦にはつまらぬ吉凶を記し黒日の白日のとて訳もわからぬ日柄を定(さだめ)たれば、
世間に暦の広く弘るほど、迷の種を多く増し、或(あるひ)は婚礼の日限(にちげん)を延(のば)し、或転(あるひてんたく)の時を縮め、或(あるひ)は旅の日に後れて河止(かわどめ)に逢ふもあり。
或(あるひ)は暑中に葬礼の日を延して死人の腐敗するもあり。
一年と定めたる奉公人の給金は十二箇月の間にも十両、十三箇月の間にも十両なれば、一箇月はたゞ奉公するか、たゞ給金を払ふか、何れにも一方の損なり。
其外の不都合計(ふつごうかぞふ)るに遑(いとま)あらず。是皆(これみな)大陰暦の正しからざる処なり。』

六曜をどう考えれば良いか?

おそらく、個人的にあまり重要視していなくても、結婚やお祝い行事、法事などは両親や親戚などの家族、年配者が絡むため、六曜を考慮して日取りを決めなければいけないと考える人は多いでしょう。

参加者に六曜を気にする人がいたり六曜が常識だと思う人がいる可能性を考えると配慮した方が角が立たないでしょう。

調整が取れない予定以外は、お祝い行事には「大安」や「友引」を選びますし、朝が早い場合は「先勝」、午後のお祝い行事なら「先負」を選びます。
お祝い行事で、うっかり「仏滅」や「赤口」を選んだことはあまりないのではないでしょうか?

調整が取れない予定は出産などですが、たとえ赤ちゃんが仏滅や赤口に産まれたとしても気にしたら産まれてくる赤ちゃんが可哀想です。

そもそも日本のものでもないですし、賭場でゲン担ぎに使われていたものをなぜこんなに重視しなければいけないのでしょう。
中国ではもうほとんど使われていません。

・六曜の起源は明らかではありません。
・六曜は仏教と無関係です。
・勝負事に多く利用されていたこともあるそうです。
・政府が正式に廃止していたこともありました。
・福沢諭吉などの有識者も批判論を唱えています。

信仰は大切だと思います。多くの人々が信じ大切にする事柄には力が宿るとも言われます。
ただ普段全く気にもとめず信仰していないものに、大切な予定をがんじがらめにされ、実施も危ぶまれるようでは本末転倒です。

例えばお祝いの予定が仏滅に当たってしまったけれど、その日ならば両親・義両親の双方が集まれる。それって
我が子のために多くの近親者が祝福できる…。ということです
これも多くの人が信じ大切にする事柄にはならないでしょうか?

また暦には六曜の他にも選日や二十八宿などがあり、で良くないとされる日でも選日や二十八宿では良い日になっていることも多くあります。
もし気になるのならば、別の暦の吉日を探してみると一年を通して、すべてのモノが悪い日は、早々ございません。

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